今日はですね父が娘に語る経済の話、
という本のご紹介をしようと思います。
こちらの本は表紙が経済の本なのに、
異様に面白いというね。
これはもう俺に買ってくれと言って
いるようなもんです。
まずどんな本かというとこなんです
けど、経済の話をわかりやすく、
かつ面白く書いた本になります。
これを書いた著者はですね、ギリシャ
で財務大臣をされていたヤニス・バル
ファギスという方なんですね。
この方が娘に経済への話をするという
体で、本書の物語は進んでいきます。
娘に語るっていうことなので、内容は
分かりやすく、難しい言葉をできる
だけ使わないようにしたっていうふう
に著者はおっしゃっております。
でも経済の話なんでまぁちょいむず
です。
ちょっと 硬い感じの教養になるんです
けど、まあでも十分わかりやすいです。
なぜ著者がこの本を書いたかと言いま
すと、もちろん娘に経済の話をしたか
ったっていうのがあるんですけど、
他にもですね全人類が経済を知るべき
だからだと言ってます。
なぜなら経済というのは私たちの生活
に深く関わりあっているのに、それを
一部の専門家に任せるっていうのは自
分にとって大切な判断のすべてを他人
に任せるのと同じだから、だとし、
著者が最初から最後まで一貫している
主張が民主化を進めようっていうこと
なんですね。
一部の金持ちと一部の権力者に任せて
いても、社会はよくならないと著者は
いってます。
言ったら今って資本主義の社会じゃな
いですか。
何でも商品化されてますよね。
商品化じゃなくて民主化しようっていう
話ですね。
一部の人に任せてたら、すべてその一部
の人間に都合のいいような世の中になる
だけなんですよ。
だからこそ本書を読んで経済を知って、
誰もが経済について意見を言えるように
なると、それが社会にとって理想で良い
社会の条件で民主主義の前提条件だとい
うふうにいうわけなんですよね。
ということで経済を知るとっかかりになる
わかりやすくて面白い本書を今回さらにわ
かりやすく解説させていただこうかなと思
いますので、 経済に関わるすべての社会人
ぜひ最後までご覧いただきたいと思います。
で、本書の内容に入ってきたと思います。
まずですね本書はなぜ格差があるのかとい
う話からスタートするそもそも論です。
世の中にはですね、お金持ちと貧乏があり
ますね。
全ての人間に違いはあれど上下の差ってい
うのはないはずですよね。
なのになぜそんなことが起きるんだという
ことをまず問いかけてくるんですよ。
その答えはですね、なんと1万年以上前に
遡ります。
じゃあちょっと見てみましょうか。
1万年以上前ですね、人類は土地を耕すこと
に成功しました。
それまでは、自然の恵みのみで生き延びてい
たんですよね。
人類は木の実を取ったり狩りをしたりとかし
ていたんですけども、人口の増大とこの自然
の恵みの枯渇で食べ物がなくなった結果、
農耕っていう自然の恵みに頼らずに食べてい
ける手段を確立したわけなんですね。
まぁ自然の恵みが豊かな場所では、農耕の必
要ないんで、まあそのような場所では農耕が
発達しなかったんです。
やっぱりちょっとね自然の恵みが乏しいとこ
ろっていうのは農耕がすごい発達していった
んですよね。
この農耕によって社会は劇的に変わる要素が
生まれるんですよね。
その要素っていうのが余剰になります。
よくわかんないのでてきましたよ。
この余剰っていうのは備蓄みたいなもんです
ね。
不作に備えて小麦取っておいたりとか、翌年
余分に種を植えるために作物とっておいたり
ってすることをまあ余剰って言います。
これはですね 自然の恵みだけでは絶対に起こ
りえないそうですね。
なぜなら自然の恵みは腐るからです。
腐るんでとっておけないですよね。
ただ米とか麦みたいに農耕によって作られる
ものは保存が利く穀物なんでその余剰っての
が生まれだしたんですよね。
つまり農耕によって余剰が生まれたというこ
とになります。
そしてこの余剰がですね、偉大な制度を生み
出していくわけなんですよ。
それが文字とか通貨とか、国家官僚軍隊宗教
に至るまで、全部引いてはテクノロジー戦争
も元をたどれば余剰から生まれてるって言う
んですよ。
今のこの資本主義社会、この貧乏と金持ち
ってどっから生まれたのっていうところの
答えとして、余剰から生まれたとはいうこと
ですよね。
これはいったいどういうことだというと、
まず文字ですよね。
なぜ文字が生まれたかと言うと、この備蓄
した穀物の量を表すために生まれました。
このころですね穀物は共同の倉庫に預けられ
るんですね。
それぞれが倉庫に預けてたら管理大変なんで
1個の倉庫に預けて一括で管理したんです。
で誰がどのくらい預けたのかっていうのは
しっかりと記録する必要があったんですね。
そのために文字が生まれました。
そして次に通貨が生まれます。
これはですね、例えばこの主人がね労働者に
働いた分だけこの穀物を分け与えるわけない
よね。
その穀物の量をこの貝殻に書いて、労働者は
その貝殻を持って倉庫に入って書かれた分の
穀物を受け取るという仕組みができたんです。
この貝殻が今で言う通貨みたいになってるん
ですよね。
しかしこの貝殻を通貨たらしめるには、ある
要因が必要なんですね。
それが神様になります。
この貝殻が本当に穀物と交換できるものである
信用がないと貝殻は通貨として穀物と交換でき
ないですね。
ただの貝殻になっちゃう。
貝殻はが通貨であるって言う神様が必要ですね。
この信用を裏付けるためには、この力のある何
かが保証してくれてないとダメなんですよね。
そして生まれたのが国家なんですよね。
この通貨っていうのを神様裏付ける力のある
存在として生まれたのが国家なんですよ。
なるほどなーこうしてね国家は生まれていきま
す。
そしてですね国家が生まれると官僚とか軍隊も
生まれるって事なんですよ。
国家を維持するために、国家を運営するための
官僚。
そしてそれを守る警官とか軍隊ってのが必要と
なるわけです。
で、これらの大量の役職の人々を維持するため
に、大量の食事つまり穀物が必要になったんで
すよね。
するとですねこの国家を維持するためにこの大量
の余剰が必要となるわけですね。
やっぱそんだけの人間を生かさないいけないって
なると国家にすごい余剰がね、偏るんですよ。
となるとですね国家宗教が生まれていきますよね。
これは宗教なんですよ。
どういうことかというと、余剰が国家とか一部の
権力者に偏るわけじゃないですか。
偏るとこの権力者たちが恐れるのが、 農民の反乱
なんですよ。
一部の人間に集まるともらってないひとがやっぱ
面白くないじゃないですか。
なんであいつらばっかりになってやっぱり数でい
うと、そいつらに反乱起こされたら権力者はひと
たまりもないわけですね。
なんでそこで権力者たちはですね、 権力者だけが
国を支配する力を持ってるっていうのを農民に
信じ込ませるんですよ。
すべては運命で決まってるんだよ、と。
これはもう最初から決まっているもので、神様が
与えた力なんだよっていうふうに農民に信じ込ま
せて、そうして生まれたのが宗教なんですよ。
これが宗教って権力者を守るために生まれたん
ですね。
信じるものは救われるっていうイメージが、信じ
る者は救われるっていうのはまあ嘘は方便という
か、農民たちを納得させるための方便なんですよ。
権力者たちが自分を守るために宗教がある、と。
そして権力者の権力を守るために国家と宗教って
のがある、と。
っていう感じでですね、宗教とか官僚、軍隊とか
国家通貨も全部ね余剰から生まれてるんですよね。
っていうのが分かったと思うんですけど、このよ
うにですね、余剰によって格差をどんどん広げ
ていくわけですよ。
そして今ですねさらに産業革命などを経てその格
差はさらなる広がりを見せているわけです。
ものすごい金持ちととんでもない貧乏が生まれて
いますよ。
で歴史に見てきたように権力者というのは、自分
たちが権力者であり続けるために行動するんです
よ。
これはね権力者が悪いってわけじゃなくて、 余剰
によって生まれた世界のシステムはそうなってい
ますよ。
だって国家がないとやっぱり成り立たないんで、
やっぱり権力者たちが自分の権力を守るために行
動するっていうのは仕方がないことなんですよね。
で世界のシステムそうなっちゃってるんですね。
そこで著者はあらゆる決定を権力者たちに任せて
いいんですか、と。
例えば昨今の地球温暖化問題ありましたね。
地球温室効果ガスを減らすか、そのまま氷河が解け
るのをそのままにしておくかという判断に人類は
迫られております。
権力者たちはですね、氷河が溶けようが海抜が上が
ろうが何の影響もないわけなんですよ。
ただ海抜が上がっても何の影響を受けないんですけ
ど、 排気ガスを制限すると権力者たちの利益が減
ってしまう可能性はありますよね。
海抜が上がると地上が海に沈むところもあるかも
しれないのに、その判断を権力者に委ねていいんで
すか、と言うんですよね。
権力者は利益で判断するかもしれねえぞ、というこ
とを、著者いうわけなんですよ。
だからこそ一人ひとりが経済に興味を持って、この
民主化っていうのを進めていく必要があるんじゃな
いですか、と著者は熱く語るんですよね。
だからこのまま民主主義じゃない資本主義に任せて、
金持ちがどんどん金持ちになっていく、 そんな世界
のままでいいんですかと。
みんなもっと経済にもっと興味を持って民主化進め
て行こうよっていうわけなんですよね。
ということでですね、一人一人が経済に興味を持っ
て、一部の権力者に物事の決定を任せるのは止め
ましょうよ、という話でした。